ひとめを気にするのはやめた

在宅で会社員グラフィックデザイナーをしています。 私と、フリーダムな韓国人の夫、またしてもフリーダムで頑固者の息子(3歳)の3人+フリーダムすぎる猫1匹で暮らしております。 私もフリーダムになりたい。

アダルトチルドレンな私 〜幼少期から中学生まで〜

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こんにちは。こけきです。

 私の親は若干毒親で、私はアダルトチルドレンかなぁと思っています。

若干と書いたのは、毒親漫画の「ゆがみちゃん」「母がしんどい」「毒親脱出日記」などと比べると、ここまで酷くはないだろうと思ったからです。

 

 私の家族は、外から見れば何の不自由も無い良い家庭に見えたと思います。

実際、親としてやるべき事はきちんとやっていてくれていましたし、責任感のある人たちだったと思います。

家族構成は、父、母、兄、私の4人家族。

 

責任感が強く、過干渉でコントロールしてくる母

 

母はチャキチャキしていて明るく、行動力もあり責任感の強いタイプ。

いつも何かしら動いて家の事をやってくれていました。

話好きで自分の話を相手の反応お構いなしにずっとしていたり、人の噂話や人をちょっと見下した悪口めいた事もよく言っていました。おそらく本人的には人の悪口を言う人なんてダメな人間だという認識があったと思うので、明らかに意地悪で性格の悪い人が悪口を言っている感じではなかったですが、内容的には見下していました。自分自身では悪口を言っているという自覚は無いのだと思います。

そして責任感が強いので、やるべき事はすごくきちんとやろうとします。

父は本当に家の事や子供の事を何もしない無関心で自己中なタイプだったので、母が家事や育児を全てこなしつつ、仕事もしていました。

とても綺麗好きで、小さなゴミや髪の毛が落ちていたりするといつも拾っている姿が思い浮かびます。私は今、子供がいて仕事もしていますが、母のように家の事をきちんとこなす事はできません。そこは本当にすごいと思っています。

しかし、人間そんな完璧ではありません。

母はいつもストレスが溜まっいてイライラしており、毎日毎日、父の愚痴を私に言っていました。

父と母はあまり仲が良くなく、父に対しても文句ばかり言っていましたが、父はいつもそんな母から逃げていて、まともな話し合いもなければ喧嘩すら無かったです。

兄は母の愚痴をそんなに聞いてはくれない感じだったので、私が一番言いやすかったのだと思います。毎日毎日、父の悪口を聞かされ、私は、お父さんはひどい、お母さんがかわいそう、と思うようになっていきました。

 

そして母はとにかく過保護で過干渉でした。

でもこれも本人的には過保護で過干渉な親はダメだと思っているようで、目に見えて度を越した行動はしていませんでした。本人も自分が過干渉な親だとは思っていないと思います。

しかし、常に私をコントロールしてきました。

あなたはこうなんだから、こうしなさい、ああしなさい、と言われ続け、ああ、私はこうなんだ、とその言葉を鵜呑みにしていました。

なので小さい頃の私は優等生タイプで、学級委員もやったりしていました。

成績もクラスで一番でした。

 

優等生で「いい子」の兄

 

兄は私より優秀なタイプで、母には本当に可愛がられていました。

成績も優秀で、思いやりがあって優しくて良い子、というのが母から見た兄です。

実際兄は世渡り上手というか、大人が喜ぶポイントが分かっていて、いわゆる「いい子」だったと思います。

でも私に対してだけは違いました。私にとって兄は鬼のような存在でした。

同じ家でずっと育ってきたので、私が嫌がるポイントを熟知しており、事あるごとに私を罵倒してきました。どうやって私を傷つけようかといつも考えているように思えました。兄が私の後ろを通るだけで、殴られるんじゃないかと身をすくめてしまうくらい恐怖でした。

でも不思議な事に、私は兄が大好きで、一緒に遊ぶ事も多かったです。機嫌が良い時の兄と遊ぶのは楽しい面もありましたし、何故か兄はすごい!と尊敬していました。

 

無関心で自己中な父

 

父は本当に家や子供の事に無関心で、休日は一人でゴルフかスポーツクラブに行ってしまいます。

家族でゴルフの練習場やスポーツクラブに行く事も多かったです。

でも行ってもする事が無いので、ただ父がゴルフの練習をしているのを見ているか、運動が終わるのを待っているだけでした。

基本的にはあまり喋らず無口ですが、本当に自分勝手で他の人の事を全く考えていない感じでした。

 

自己肯定感が失われた私

 

そんな3人から、よってたかって攻撃される事がたまにありました。

中でも覚えているのが、当時、電子手帳が流行っていて、女の子のおもちゃでも電子手帳がいくつか出ていました。

うちにあったおもちゃはほとんどが貰い物で、おもちゃを買って貰える事はほとんどありませんでした。私は、絶対に買ってもらえないとは分かっていましたが、特に何も考えずに「電子手帳欲しいなぁ」と言いました。

別に買ってくれと言った訳ではありません。

ただ、自分の気持ちを口にしただけです。

そうしたら3人揃って、そんなのが欲しいなんて馬鹿じゃないか、なんでそんなものが欲しいんだ、絶対いらない、馬鹿だ馬鹿だと馬鹿にされ罵倒されまくりました。

私は家族の中では一番弱い存在だったので、そういう扱いをされる事が多かったです。

おまえには無理だ、おまえにはできないよ、おまえは何も分からない、だからダメなんだ、そのような事を言われ続け私は、自分には無理なんだな、自分は何も分からないんだ、自分は他の人よりも劣っているんだと思うようになっていきました。

 

実は私は子供の頃の記憶があまりありません。

何もかも母の言う通りにやってきて、家の中がいつもピリピリしていたので、私は人一倍空気を読むようになりました。

周りの人が望んでいる事が手に取るようにわかるので、自然とまわりが望むようにしてしまいます。

幼稚園の時、男の子に押されて派手に転んだ事がありました。

めっちゃくちゃ痛くて、すごく泣きたかったのですが、母がその時「大丈夫?」と半笑いで言ってきて、その時母の(大丈夫だよね?そのくらい。そんな事で泣かないでしょ?)という心の声が聞こえてしまい、結果私は「大丈夫」と言って泣きませんでした。

痛い時にも悲しい時にも泣けず、ずっと我慢して自分の心を押し殺していた私は、相手の気持ちはすごく良くわかるのに、だんだんと自分の気持ちが分からなくなってきました。

今思うと、心が全く動いていなくてカラッポだったから、記憶が定着せずに子供の頃の記憶が無いんだろうなと思います。

覚えている事は、辛かった事ばかりです。

 

そんな私は成長するにつれて、だんだんと家族を客観的に見れるようになってきました。

友達の家に行った時に、お父さんがアイロンがけやご飯の支度をしていた事に衝撃をうけ、親子の仲の良さ、両親の仲の良さ、兄弟姉妹の仲の良さに衝撃をうけ、いろいろ外からの情報が多くなるにつれて、うちの家族は普通の幸せな家族ではないのかもしれないと思うようになりました。

小さい頃はお父さんが悪い、お母さんがかわいそうだと思っていましたが、本当はそんな事はなく、どっちもどっちなんだと分かってきましたし、いろいろ見えてくるにつれて、私はどんどん自分の殻に閉じこもって家族と必要以上に会話をしなくなっていきました。

でも自分の気持ちが分からない、周りに合わせてしまう、自信が無いのは相変わらずで、学校でそれなりに仲の良い友達はできましたが、学校で一人にならない為に必要だっただけで、本当の友達ではなかったと思います。

本当の友達ができたのは高校生の時でした。

 

高校からの話は次の記事で。